声がなぜここまで人間にとって大切なのか?
20代後半から、その秘密を探る旅が始まりました。
20年ほどたった今、なぜ「聲祭」がライフワークになると確信したのか?
興味がある人もない人も、少し覗いてみてください。
総合プロデューサー北方 喜旺丈
序
声は、コンプレックスでしかありませんでした。持病があったのもあります。喘息×アレルギー性鼻炎=声が響かない、届かない、うまく歌えない、喉が弱い。
誰かと一緒に歌うことは、せいぜい音楽の時間ぐらい。小学校高学年からは、合唱のときはいつもピアノ伴奏でした。つまり物心ついた頃から、「みんなと一緒に歌う」という経験を、ほとんど逃していたんです。
プロになっても、歌だけはどうしても越えられない大きな壁でした。自由に歌える人に、ただ憧れているだけで、何も叶わなかったのです。
2008
転機が訪れたのは、2008年でした。劇団四季「55steps」初演。初めてのミュージカルの仕事に、アレンジャー、キーボードコンダクターとして参加しました。
声の表現力、歌の存在意義、言葉の大切さが、急速に身に沁みてくるようになっていきます。またミュージカルの持つ隠されたメッセージ性、とくに社会的・宗教的・政治的なメッセージの絡ませ方に興味を持ち始めます。ミュージカルにする意味は、ここにあるのかもしれない。そう感じ始めます。
2009
初めての合唱曲「ありがとう ありがとう」が、教育芸術社から出版されました(喜多形寛丈名義)。
ここからしばらく、新作合唱曲を毎年出版する流れがやってきます。子どもから大人まで歌える曲が、どんどん生まれていきます。
2010
「ねんりんピックいしかわ2010」の式典音楽を担当しました。皇室がご臨席される行事に、初めて参加します。
その後もほぼ毎年、「全国植樹祭」「全国海づくり大会」「国民体育大会(現:国民スポーツ大会)」「国民文化祭」の式典音楽、アトラクション音楽に携わりました。音楽の表現の可能性を拡張し始めます。とくに、声の実験的な試みを始めました。
2011
当時活動していたTRI4THのリハーサルの最中、高円寺の高架下のスタジオで、東日本大震災を経験しました。
人生観が変わる大きな体験から、いかに音楽や言葉でメッセージを発信できるのか——そこに傾倒していきます。新曲だけでなく、有名なミュージカルナンバーをジャズアレンジしてYouTubeに流すなど、遊び半分・本気半分で、歌を通して世界をどうにか良い波動にできないか。そんなことを模索し始めた年でした。
2012
地元・内灘町の町政50周年記念で、愛唱歌を5曲作曲しました。歌詞は各小学校の5年生のアンケートの回答が99%使われ、こどもたちがダイレクトに感じている町のこと、未来のこと、人のこと、文化のことが描かれた、キャラクターの強い作品が完成しました。自治体と一緒になって、かけがえのない作品を残していく。それが始まった年です。
小学生330名、大人のボランティアコーラス40名。さらに伴奏はミュージカルのような編成にするべく、各楽器のアマチュア・プロを揃えて、壮大な編成で初演しました。能登聲祭につながる種が、ここにあります。
そして、洋楽を歌うGLEE部に人知れず入部。ダンスパフォーマンスにも挑戦しました。
夏には、中国へバックパッカーで3週間の旅をします。ウイグル自治区に初めて行ったとき、ちょうどラマダーン明けで市内中がパーティのようになっていたところ、声をかけられ、民族的な音楽やダンスを一緒に楽しむことになりました。そこで一言、「日本の伝統的な曲を歌ってくれ」。……酔っ払っていたことを理由に、何にも思い出せないとウソをついて誤魔化すと——
お前は本当に日本人か?
日本の唱歌しか出てこない自分に、がっかりしました。日本人なのに、地元の伝統的な民謡もまったく歌えないとは。海外に出るとは、深く日本を知ってこそ。それを痛感しました。日本を追求し始める年にもなりました。
2013
ミュージッククロスロード委嘱作品「はじまりのうた」を初演しました。木場義則さん率いるこどもコーラス、ママさんコーラス、ゴスペルなど、多種多様なコーラス団体がそれぞれ出演した最後に、全員で大合唱がしたい!という要望に応えて作詞作曲したものです。
異なるジャンルの合唱が共に歌う、という発想は、ここから来ているのかもしれません。
歌詞は、世界の神話や叡智から組み上げました。声、言葉、音楽を深掘りしていくと、人間の神秘的なものに、どうしてもぶち当たります。そういうことが、より一層身近になっていきました。
2015
北陸新幹線の開業と同じ年、2015年。石川県内灘町に「かがやき音楽団」を創設しました。プロもアマチュアも、世代も、音楽歴も、楽譜が読めるか読めないかも、全て問わない。楽器の種類も、歌の上手さも、あらゆる制約を外した——おそらく世界でも類を見ない音楽団です。
現在、11年目。地域活性化に取り組み、スタッフもみんなで分担しています。今につながる、最初の実践はここです。
2017
2017年。地元・内灘の海岸から「UTAUMI(うたうみ)」を始めました。「歌で海を美しくしよう」を合言葉に、音楽と海岸清掃をひとつにした活動です。「ゴミ拾い音頭」に合わせて、楽しく能率良く海ゴミを拾い上げました。最初は親に連れて来られて面倒くさがっていた子どもたちが、宝探しのように「こんなゴミあったよ〜!」という姿。たくさんのゴミの山がトラックの荷台に積まれた後には、櫓に見立てて盆踊りスタイルで踊り祀る。海に関する様々なパフォーマンスを挟み、最後は全員で手をつないで、海に向かって歌う。生かされていることへの感謝と、平和への祈り。——「平和ノ祈リ」は、この浜辺から生まれた曲です。
環境省「プラスチック・スマート」にも登録され、輪は県外にも広がりました。コロナ禍で大きな開催は止まりましたが、月に一度、海のごみを拾う「UTAUMI Monthly」として、いまも細々とですが続いています。いつかまた、イベントとして日本だけでなく、世界中でやりたいことの一つです。



「ゴミ拾い音頭」
▶楽曲「平和ノ祈リ」 本番映像 全員合奏・全員合唱──2025年9月9日「響の顧天」金沢市アートホール より
2019
2019年。西日本豪雨(2018年)と熊本地震(2016年)の被災地を巡る、約3週間の演奏の旅「ご縁をツナグ旅」。現地を訪れて、初めて知ったことがあります。仮設住宅は壁が非常に薄く、家族との会話も、夜にトイレを使うことさえ遠慮しながら暮らしている方が大勢いた。声を出すことそのものが、ためらわれる環境でした。外からは見えにくい。けれど心理的な負担は大きく、緊張が解けないままでした。
演奏会の最後には、誰もがすぐ歌えるシンプルな曲を、皆さんと一緒に歌いました。上手い下手という表面的な評価から離れて、人間なら誰でも持っている「歌いたい」「声を出したい」という本能を解き放つこと。それだけを大切にしました。
歌い終えたあと、「こんな時間が欲しかった」「思い切り歌えて、うれしかった」と、満面の笑みで話してくださいました。職員の方からは、こう言われました。——「いつも泣いてばかりいる方が笑顔になっていたのを見て、こちらが泣けました」。
この旅は、クラウドファンディングで434%を達成して実現しました。金沢から宮崎まで3週間。各地で歌い、その声を録音して、一曲にまとめました。日本各地から被災地へエールを、被災地からは様々な想いを、声に乗せて。集まった声は、約400人分になりました。
みんなで集まって歌うと、どうして一人で歌うより、少人数で歌うより、圧倒的に感動できるのだろうか・・・・
その圧倒的な感動と、声と音がもたらす謎のパワーを、能登演劇堂という、最高の場で体験しよう。
どんなにイメージしても、体験に勝るものはない。
ここから、能登聲祭までの七年が始まりました。
▶楽曲「ご縁をツナグ旅」 本番映像 フルバージョン──各地で録音した約400人の声が重なっています
2020
2020年から、森羅万象あらゆるものを「響き」として聴き、音楽と言葉として表現していくプロジェクト「THE ECHO」が始まりました。静かに「聴く」という行為そのものが、驚くべき現象をもたらしたことがきっかけでした。ヒト、モノ、コトなどあらゆる振動を聴き、今もライフワークとして続けています。
その中で、とりわけ際立っているのが、日本各地の聖地、寺社仏閣などを訪ねて、土地の音楽と言葉を作り始めたことです。THE ECHOはプロジェクト名ですが、その行為そのものは、単に「エコー」と呼びます。
それが派生して2021年、東経135度を巡る「DOMISO PROJECT」が誕生。各聖地を巡り、美しい日本の風景と共にすべて映像作品として収めました。その12本のムービーの導入として、ドキュメンタリー映画「むすひ135」が完成します。結果、図らずして映画に出演することにつながりました。
2021
コンプレックスを野放しにはできない——その強い思いから、発声の仕組みにはずっと興味を持っていました。やがて、日本屈指のボイストレーナーである角田紘之氏との出会いを経て、いよいよ聲の進化が始まります。みるみる聲が変化していく。聲は生まれつきでもなければ、変わらないものでもない。むしろ無限に進化できる——そのことを知りました。
さらに。結婚した妻・邁羽(まよ)は、聲のプロフェッショナルでした。声色をつくる「倍音」という成分が本当に豊かで、角田先生からも太鼓判を押されるほど、稀な聲の持ち主。その声色、声音がもたらす効果、アナウンサーや朗読家として培った美しい日本語の発声は、現代では失われつつあるものでした。
そして、専門的な教育を受けたわけではないのに、どうしてこんなふうに歌えるのだろう——研究しがいのある対象でもありました。そこから、聲には身体性だけでなく、精神性が大いに関わっていることに気づきます。この気づきをもとに、聲から命を立ち上げる「未来のボイトレ®︎」の提供を始めました。
だから「聲が変わると人生が変わる」は、誰かの理論ではありません。わたし自身の経験であり、受講生たちがわたしに見せてくれたことです。
2024
2024年1月1日、能登半島地震。その地元・内灘町で、被災しました。幸い実家は無事でしたが、町の半分は大きな被害を受けました。特に液状化が凄まじく、「復興に30年はかかる」——当時の役場の方の言葉が、強く残っています。
それから、民謡歌手の加賀山紋さんと、能登の民謡をたびたびアレンジして演奏するようになりました。そして4月4日、輪島朝市の焼け跡を訪ね、エコーしました。そこで生まれた音楽と言葉。それこそが聲祭の核となる歌であり、言葉なのです。「声で、賑わいを取り戻す。再生に必要なのは、声である。」
5月5日には、ガルガンチュア音楽祭(旧:風と緑の楽都音楽祭)で能登復興支援コンサートを任され、復興支援ソング「能登あっぱれ!」が生まれました。能登と言えば、やはり「祭り」。コールアンドレスポンスだけで、その場の全員と歌って盛り上がれる曲が欲しかったのです。声を上げた分、命が長らえるのだから。
楽曲「能登あっぱれ!」——音源・映像は近日公開。コールアンドレスポンスだから、練習はいりません。
2024年1月1日、能登半島地震。故郷が壊れました。どうしたら、復興の道を見出せるのか——その手掛かりは、現地に立ってみなければ掴めないと思いました。その場で音楽と言葉を書けば、何かが分かるかもしれない。そう考えて、能登をいくつも巡りました。
内灘・西荒屋の蛭兒神社。輪島の總持寺祖院、重蔵神社。珠洲の須須神社。能登町の真脇遺跡。訪れた土地ごとに音楽と言葉が生まれ、そのたびに「なるほど」と思わせてもらう気づきがありました。
そして——輪島朝市に立ったときでした。まだ火災の余韻が凄まじく、焼け焦げた匂いが残っていました。1,200年、「買うてくだぁ」の呼び声が毎朝響いていた通りです。そこで書いた言葉が、これでした。

あなたの「声」を
聴きたいのです
あなたの望む声を
あなたの呼びかける声を
声で賑わいを取り戻すのです
声は 活氣を呼びます
声は 目を覚ます響き
声を集めて
声をあげてください
そして
優しく声をかけてください
再生に必要なのは
「声」なのです
──「亡くなった方々の魂鎮め・
輪島朝市復興のエコー」より
北方 喜旺丈
この言葉と音楽が、能登聲祭の原点になりました。曲の名は、「輪島朝市」。10月18日、全員で歌います。
▶本番映像「輪島朝市」 音楽と朗読
焼け落ちても、朝市は止まりませんでした。「出張輪島朝市」として全国へ出向き、1,200年の呼び声を絶やさずにいます。



出張輪島朝市は、能登半島地震で被災した輪島朝市の1,200年以上の歴史を途絶えさせない、忘れられないために、全国へ出向いています。能登の特産品や輪島朝市の魅力を届けながら復興へつなぎ、復活した際には遊びに来ていただけるよう、その魅力を発信しています。
その出張輪島朝市が、2026年10月18日、能登演劇堂にもやってきます。出演&ブース出店が決定しました。抽選会では、輪島朝市の商品も。
1,200年の呼び声を受け継いで、
その名を冠した曲を、みんなで歌う。
2025
2025年9月9日、金沢市アートホール「THE ECHO CONCERT in Kanazawa」。日本を離れてドイツに住み始める前に、これまでの集大成として、個展コンサートを開催しました。題して「響の顧天」。
やはりまだまだ支援が必要な能登を、もう一度訪ねました。エコーによって生まれた「能登再興のための音楽と言葉」を、999という特別な意味を持つ日に初演しました(後援:(公財)石川県音楽文化振興事業団・北國新聞社)。パンフレットには、こう書きました。——真の復興とは、私たち一人ひとりが自然への敬意を取り戻し、人間性を復興させること。
コンサートのラスト。UTAUMIで内灘海岸の砂浜で、海に向かって何百人と手を繋いで歌った「平和ノ祈リ」が響きました。平和。調和。森羅万象への感謝。家族、仲間への感謝。命への感謝。そして、亡くなった方々への鎮魂と、真の復興への響き。
次は、いよいよ能登の地で。みんなで歌います。何が起きるのか。誰にも予測できません。全ては、当日に答えがあるからです。
ここまで読んで頂いた方にはお分かりかと思いますが、みなさんと共に歌う4曲は、私の人生を変えた4曲です。
「平和ノ祈リ」は、地元内灘海岸から。
「ご縁をツナグ旅」は、仮設住宅の集会所から。
「輪島朝市」は、被災し焼け焦げた土地から。
「能登あっぱれ!」は、野生的な能登の祭りのイメージから。
すべてエコーで作った楽曲たちを、共に歌うことでしか起きない「何かがある」と、これまでの経験から強く信じています。その響きを共に味わい、そして能登に、皆さんの地元に、仲間たちに還元していけたなら、こんなに嬉しいことはありません。
太陽がもっとも低くなり、そこから光が還りはじめる日。その冬至に、「未来のボイトレ®︎講師養成コース」が発展した形で誕生したのが、THE ECHO HUMAN EXPRESSION ACADEMY(エコアカ)でした。掲げたのは「芸能のチカラで、命を開く」。10か月かけて、歌う・語る・舞う・踊る・身体と向き合う・祈る・本音で生きる・共感する・受け入れる・認め合う・輝かせ合う——AIの時代に、人間だけが成しえることを学びます。芸能は、そのすべてを網羅しています。
この祭りを主催するのは、そのエコアカです。2025年12月22日に開校し、その第一期生が、能登聲祭2026の舞台に立ちます。完成品を披露するためではありません。能登の聲と、全国から集まる聲を、受け取り、つなぎ、増幅するために。芸能の原点である聲から始めるこの祭りは、エコアカの精神そのものです。
2026
現在、わたしはドイツに暮らしています。気候も言語も建築も変われば、自分の聲も変わる——その体験を、いまも続けています。土地には、その土地に育まれる聲がある。だからこそ、能登の地に集まり、共に聲を響かせる体験が、尊いのだと思うのです。
2026年10月18日。たくさんの聲が、能登演劇堂に重なります。その一つが、あなたです。
連歌。あえのこと。山伏の声明。祭りの声「イヤサカサー」。御陣乗太鼓の、迫力満点の叫び声。
祈りの聲。祭りの聲。暮らしの聲。能登では、聲がいまも暮らしの真ん中にあります。だから——聲の祭りは、能登から始まるのです。



「聲」は「声」の旧字体です。部首は耳(みみ)、17画。音読みはセイ・ショウ、訓読みはこえ・こわ。辞書はその意味を「こえ。音。動物の鳴きごえ。ひびき」、そして「音楽。楽曲。音律」「ほまれ。名誉。評判」と記します。声は、はじめから音楽であり、その人の評判=生き方でもあったのです。
つまり「聲」は、出す人だけでは完成しません。
打たれた響きと、それを受け取る耳。その両方があって、はじめて成り立つ字なのです。
私たちは、声を集めたいのではありません。一人ひとりの聲——身体と命から生まれ、誰かに受け取られ、土地と未来へ響いていくもの——を、響かせたいのです。みんなが、たがいの耳になる。
だからこの祭りは、「声祭」ではなく聲祭です。
字義・字源の参照:漢字辞典オンライン/OK辞典ほか